南濱墓地 墓石調査 Oブロック

まずは配置図を作成しました。

   各列をA~Vとしてそれぞれの墓石に番号をふって A-3 のように区別します。(あ~面倒だなあ)
   青い四角は一族墓で、現在も祀られています。他に祀られているのは小数です。







O-1  正面  眞翁宗順居士
         真覚貞鏡大●
         圓明普教童●
   右側面  宗 天明四甲辰年四月二日(1784)
         貞 安永六丁酉年八月廿五日(1777)
         普 明和六己丑年九月廿●(1769)
   台座  西林氏

O-2  正面  真翁宗順信士
            貞鏡信女
            普教童子
   右側面  ●天明四辰四月二日(1784)
        明和六丑九月廿六日(1769)
        貞 安永六酉八月廿五日(1777)
   左側面  西林氏
            戒名が微妙に違いますが、O-1とO-2は同じ3人の墓なのです。
            なぜ改めて墓を建てたのか? なぜ戒名を変えたのか?
            常識的には小さい墓が先に建てられる。

O-3  正面  清冷院覚法壽光居士  芳厳信女
         松樹院寒月妙清大姉  恵了童女
                         義教童●
    右側面 智幻童女
         妙仙童女
         寂幻童女
         智圓信女
    左側面 満月院観阿素光居士  ●●
          梅芳院●光妙●大姉  智●
                      ●●
    裏面     叩寂童子
        刀山一夢信士
            妙幽童女
    台座  西林氏
            最初は清冷院と松樹院の2人の墓として建てられ、その後次々に追加されていったのです。
            最後に彫られたのが正面下部の3人。以降は祀る人が途絶えたのでしょう。

O-4 五輪塔の頂部のみが枠石の真ん中にポツンとあります。
    枠石なのかどうか、五輪塔はここにあったものか?


O-7  正面   釈妙立禅尼
    右側面   天保十五年甲辰四月二十四日(1844) 暁子●●
    左側面   中川氏
             本当の尼なら氏など書かないので、死後出家。


O-8  正面   ●●●●            享保四●
          清誉浄心春峯信士  深誉了心紫光●雲   釈正●
          十二月  二月十八日           三月七日 十二●●
          元文二●年 ●保十四●          元●●
          浄誉成林釈尼妙順   縁寶妙●恵光智産意察●
          八月廿九日  六月四日          十一月廿七日
            正面中央にあるはずの文字が見えず、両側の小さな字のみ読める。
            後になって文字を消したのではないか、そう感じるのです。


中央より左へ順に
O-9  正面  釈光西
          尼智秀
    左側面 尼妙智
          めい        なぜこの2人が俗名なのか?
          小七
    裏面   嘉永五壬子十二月十四日(1852)
    上台座 和泉屋
          小兵衛
    下台座 祖墓        ここから下は大正13年に追加されたものです。
    下台座裏  大正拾三年春調
          西村氏
    花立   西村
                    1852年に5人の墓が建てられ、台座が追加されるのが1924年。70年後です。
                    しかも以後追加された様子はありません。
                    それは、台座の「祖墓」に現れています。これは先祖代々の墓ではないのです。
                    明治以降の分はどこか別の墓地にあるのでしょう。

                
O-10  正面  了信  浄雲  宗休 
  妙信  妙雲  宗信 
 右側面  妙閑  妙玄  教春
  妙正  妙清  妙智
  了喜  妙穪  貞春
 左側面  浄貞  貞満  浄春
  浄教
  教貞  智貞  妙春  
小さな墓ですが22人の名があります。
    台座   加賀
          勘兵衛
    花立   常用              花立は現代のものです。

このように1つの竿石に多数の戒名を彫るのはそう珍しいものではありません。
戦前までは個人墓か夫婦墓が主流で一族墓のほうがよほど珍しかったのです。
しかし戒名だけを多数並べるのには何らかの理由・事情があったはず。
       後世になって資金ができたので纏めた
       親族内の事情で墓を作れなかったが後世になって解消した
       火事・水害・病気などで一度に多数が亡くなった
       亡くなった順に次々と追加していった
       一族ではない雇人の名を追加していった
       遊郭などで亡くなっても故郷に戻れない



以降まだ書いていません。忘れています。
2023/2/21 追記

O-11
    正面     浄入    妙玄
          釈静源    妙松
            妙倉    欠落
    右面    享保二年●●建之
    左面     須圥    欠落
          釈教須     欠落
            欠落    欠落
    水盤     嶋新         水盤・花立が新しく墓のものかどうか?

O-12
         正面    本地院法●●●正日契居士
                大●院妙住日珠大姉

         右面    大乗院●●日●●●
                大乗院妙徳日順大姉
                    左半分は空白

         左面    妙法 本信院光煕日行居士   こちらが正面か?

         裏面    昭和十三年六月
                堀田菊天建之

         この墓地では新しい墓ですが、すでに無縁となっています。
         O-12からO-16までが堀田一族の墓です。

O-13
O-14
O-15
         正面    釈暁龍墳墓

         右面    釈●●
                釈尼●●

         台座    掘田

O-16
         正面    釈乗翁
                釈尼貞信
                釈尼妙怡

         右面    中嶋屋先祖代々
                釈尼知●

         裏面    明治廿六年四月 建立

         台座    堀田       なぜか水盤が正面と右側の2箇所に

O-17
         正面        教西   教清
                釈
                    妙玄   妙甫

         右面        教春   ●●
                釈
                    妙●   妙●

         左面        了清
                釈        妙栄信女
                    宗心   休圓

         台座    小山屋
                嘉右衛門         なぜか水盤がなく、台座角に花立穴が4つ

O-18
         正面       宗桂信士
                釈
                   妙慶信女

         台座    北野村
                根岸弥次エ衛

O-19
         正面        西倍信士
                南無阿弥陀仏   施主利治
                    妙喜信女
                  妙玄  明和七●年二月九日

         右面   釈 祐心  安永四未九月廿五日
                  妙順  天明二寅十月十八日

         台座    北野
                根岸

O-20
               明和●年         二月廿八
         正面   釈妙教     浄智童子
                        妙智童女
               二月廿九日  明和四丁●●月●●
         左面   天明二寅年
               釈周清
               八月十九日
         裏面     妙友信女 天明三卯歳  智秀 天明三卯歳
                        九月廿六日      六月十七日
               釈
                 教圓信士 天明八申年
                        三月十八日
O-21
O-22